【泥のまみれずに生きよう】

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こんばんは〜 ちょもこです。
今週はお当番。お付き合いください☺️

みなさん、元気ですか?
世の中は、コロナ渦でグルグルしてますね🌀
心身共に穏やかさを保つことが
以前よりも厳しくなってます。

私も、日々美容師として
お客様と触れ合うお仕事で、
コロナ以前よりも、ヘビーになっていて、、
常に自分を整えることを
最優先事項にして、生きております☺️

こんな時期に
『ヒカリめがね』として何が伝えられるのか…
ずっと考えていました。

「新しい価値観を共有するマガジン」として
自費出版に挑戦した5年前。
ひとつの考え方に固執せずに、
柔軟な感性で、読む人の生き方をカラフルに彩れたらいいなぁと思ってます

視覚👁に映るもの
聴覚👂から入ってくる情報
触覚で感じるもの
嗅覚👃を養うこと
味覚👅を研ぎ澄ますこと

自分にとって最適なものを取り入れるには
ひとつひとつを「選択=チョイスする能力」と
ピュアな感性=センスが、
これからどんどん問われていくと感じています。

そのためには、
「なんの情報もいれない時間」がとても大切。

静けさに身を委ねて、
自然に還る時間を過ごす。

聴覚過敏の私は、おそらく人よりも耳から入ってくる情報が多い。人が聴こえないことも入ってきてしまうので、それが雑音となり、自分の脳を常に刺激する。それが、私の悩みでもあり、強みだ。だからこそ、雑音をいれない時間を設けないとアタマがおかしくなってしまう。

最近のご褒美は、これ。(写真)

この時期にしか見られない、
大好きな蓮の華💖

私が住む新城市の隣町、豊川市にある蓮畑を教えてもらって、今シーズンは2度行けた。

1度目は朝10時
持ち主と思われるパンチパーマ🦱のおじさんがいたので話しかけてみた。優しい口調で、私の質問になんでも応えてくれた。10年、この畑を管理しているそう。
蓮は、ひとつの葉につきひとつの華を咲かす。
ピンクの蓮が減り、だんだん白い蓮に
華が咲くのはたったの3日。
開いては閉じ、開いて閉じ、最後は閉じる力がなくなって、開いたまま散っていく。
朝の7時〜8時までが1番見頃。
管理の大変さは、やっぱり草‼︎
草を食べてくれるアヒル達が大活躍🦢🐤
タニシを撒いたり試行錯誤だって。
蓮根は、とるのが大変らしく、やってないって。

2度目は、長男を早朝に駅まで送ったあとに
7時前に拝めた。やっぱり朝早いと最高!

私が感動したのは、、
お金儲けのためでなく、全くの善意でやっていること。訪れてくれるヒトの喜ぶ顔を思い浮かべて、おじさんはここを手入れし続けているということ。水だって、苗だって、アヒルだって、ただじゃない。「無償の愛」ってこのことだなぁ、、と感動してしまった。

次から次へと人が集まってくる。
いいカメラ📷を持ったヒトも数名いた。
全く知らないだれかの善意のおかげで
気持ちが安らいだり、感動させてもらえることを
私は忘れたくないなぁと思った。

そういうことを、見つけられる感性を
もっと磨きたいなぁと思った。

蓮について改めて調べてみたよ。

私も、何冊か本を持っている小林正観さんのページを見つけた。ステキな言葉が紹介されていたのでシェアします☺️

蓮の花は、お釈迦様の台座。
台座に選ばれた理由は…
蓮の花は、泥水の中からしか立ち上がってこないそう。真水では立ち上がらない。

しかも、泥が濃ければ濃いほど(汚れているほど)
大輪の花を咲かせる。

泥を人生になぞらえば
つらいこと、悲しいこと、大変なこと。

人生の苦難の中で、花を咲かせること、
つらく悲しい思いがなければ、
人間は、悟ることはないのだと
お釈迦様は伝えたかったのだ。

「悩み、苦しみ」という泥水が濃いほど、
「幸せ」という大輪の花が咲く。

初めて私が本物の蓮の花を見たのは
亡き父と一緒に、旧鳳来町にある医王寺にて。
初めて見たときの感動は、いまでも忘れられない。

色んな悩みはいつになってもあるけど、
この華を眺めているだけで
思考や感情がクリアになるのだ。

今年は久々に足を運んでみたけれど、
咲いていたのは1輪だけ。
でも、まだこれから咲く蕾が待機していた。

緑のまぁるい葉も、花が散ったあとのシャワーのようなものも、見れば見るほどおもしろい。

医王寺は特に、静かでいい。
山から流れてくる水の音と、
大きな殿様ガエル🐸、銀トッカ(ぎんとかげ)🦎にも会えた。日本の美しい夏が味わえる場所。

長くなりました。
さいごまで読んでくださりありがとうございます。

これを読んでくれた方が
少しでも「ちょもこメガネ」をかけた気分になったらうれしいな💛

どんな環境、状況になったとしても
まっすぐに生きよう!自分らしく!