*毎度長いけど、エッセイと思って読んでください。
お盆に渥美半島の実家に息子たちと行きました。…
ちょうどお正月に実家に行った時も、ヒカリめがねの当番でした☺
その時も訪ねた神社に、長男が行きたいと言ったので、その時の写真(+なんとなく、何年か前の我が家の屋根の上に兄弟が座っていた時の写真。
+近況的に今連載中の地方紙・東愛知新聞より)。
私の実家は、海や山に囲まれたド田舎で、幼い頃は嫌で嫌でたまらなかった。
とにかく田舎から飛び出すことばかり考えていて、高校は隣の豊橋市に出かけ、大学は東京に出ました。
自分の成長とともに、夢はどんどん変化していき、今、作家と呼べるほどではないけれど、表現や「伝える」の軌道の上にいることは、かつて抱いた夢の通りなのでうれしいです。
夢を持った時に、その夢を人に向けて話すか話さないか、というのは、実現に関して、両面あると思う。
「口にしない方が夢が叶う」「口にしたら夢が叶う」
これはどちらが正しいとは言えなくて、種類や好みの問題だと思います。
その件に関し、一つ思い出した田舎での場面。
高校3年生になって、いろいろ考えたのち(経済的に余裕のない家だったので東京の私立大学に行くなんてとんでもなく、国公立希望だったけど、予約奨学生に申し込んだり画策し)、第一希望を早稲田大学にした頃、バス停から家までの間の畑で出会う「おいものおばさん」から、「どこの大学に行くだん?(←方言)」と聞かれ、親しい大好きなおばさんだったから正直に「早稲田が希望」と言いました。
するとおばさんが、クワを持った手で「すごいじゃん!」と言ってくれて、私は(こんなことを口にして叶わなかったらどうしよう?)という心配よりも、(受かるか受からないかわからない希望を言っただけで「すごい」と言ってもらえるのなら、この1年、言い続けよう♪)と思いました(笑)
恥をかいてもいい、という方向を選んだのです。
結果は合格できたのだけど、この時の体験は、振り返ると、ちょっと大きい(笑)
引き寄せだとか有言実行だとか意識しなかった頃だから、なおのこと大きい。
それも含めた様々な体験から(もちろん言わないことも多いけれど)、子どもたちには、小さな夢も大きな夢も口に出したらいいなあって思い、夢の種類も移り変わることもすべて含めて、親の私が誘導したりせず、のびのび自由に語らせています。
夢を語ることの良いことは、情報や協力者が集まってくること。
高校2年生の長男は、料理人が夢だったけど、アメリカと中国に行ってきて、変化している。
中学2年生の次男は、小さい頃からやんちゃでケガをしてばかりで、なんとなく、整形外科医に憧れてきて、秋の職業体験も行きつけの(まさに今も突き指で通っている)整形外科に行く予定(なかなか教えてくれなかった)。
無理でもいいんです。何か夢を持つことが大事。
そもそも長男にも医者に憧れた時期があったし、学校の先生にも憧れていた。
私の中学時代は、美容師とか通訳(「夜のヒットスタジオ」に出てくるようなw)に憧れていました。
何か思って、現実的な努力をしてみて、壁を知ったり、克服したり、そうこうするうちに夢が変化して・・・
なんでもいいから、mustよりwantをいっぱい持ってほしい。
親として何よりも大切なのは、子育ても含めた自分自身の人生を楽しむ姿を見せることだと思う。
この間私が、回覧板をご近所に届けた後、ビーサンで全力疾走で次男に走り寄った時、その姿がおかしかったみたいで、ふだんクールな次男が爆笑した。
うれしかった!!(なんかちょっと話がズレてるけど、つまり、自分のありのままを見せてますってことです)
☆余談になるけど、昔私が夫と夫婦ゲンカして、庭で夫の足を踏んで、逃げようと走ったら、すっごい勢いで転び、それを見た幼い兄弟は爆笑していた。「大人があんな転び方するなんて!」と。恐がるより、笑うくらいたくましく育っていて良かったと思った。
☆お盆に私の妹が長男に「お母さんが変な人って気がついたの何歳くらいだった?」と聞いたら長男が「2歳くらい」と答えていた(笑)
できた親、仲の良い夫婦を演じなくていいと思う。それなりに子どもは育つとつくづく思う。