今週お当番の日原いずみことまーちゃんです。
今日は午前中、逗子からの妹親子が我が家に寄り、夜は夫の実家に行き、明日は息子たちを連れて私の実家に行く予定です。
お盆の思い出をまとめて、今週中にUPしようかな、くらいに思っていたけれど、たまたまたどって行き着いたこの動画を見て号泣して、今書いています。
何年か前にfacebookでも大流行りしたゾウの家族のアニメーション。
唐突ですが、我が家は思春期になってから、夫と息子たちとの仲が良くなくて、私も板挟みになったりしてたいへん。
でも、この動画のゾウのお父さんが、たぶん、単純に体型的なことも大きいのだけど(笑)、夫と重なる面があり、「亡くなったら寂しい」というしおらしい感情ではなく、キッパリと、「人はみんないつか死ぬ!!」という事実を改めて感じ取りました。
先週自分のページでは投稿したのですが、2007年に出版した『赤土に咲くダリア』の担当編集者さん(男性)から久々にメールが来て、大病から復活したことと、入院中に書いた本が秋に出るから送る、という連絡でした。
その編集者さんとは9月に豊橋で会う予定です(来てくれる)。
お互い、2011年の3月11日をきっかけに、小説の無力さを感じ、小説から離れていたのでした。
今後また一緒に組むのかどうかはわからないけど、小説って、ものすっごく骨が折れる作業なので、伴走者がいるかいないかは大きく違う。
私が大好きな短編の一つに、伊集院静の『乳房』がありますが(夏目雅子さんの闘病について唯一触れた本)、そのあとがきだったかで、伊集院さんが編集者に感謝の言葉を書く中で、「私が話すスクラップのようなシーンを、あなたは鍛冶屋の主人よろしく、右に左に整理してくれて、自転車に組み立てたり、扇風機にこさえなおして、・・・」という部分がある。本当に、体験や記憶の断片が小説という作品になるかどうかというのは編集者にかかっているところもあるのです(と、語れるほどの経験は私にはないです。大御所の先生すみません!)。
というわけで、今、衝動でここを書いているけれど(笑)、お互いの病を経て、「命」や「人生」というものについて、改めて深く考えた時間を持った編集者さんと会って、泣いて笑って、自分のため込んだスクラップについて放出し、作品になる可能性があるかどうか、一緒に探ってみようと思います。可能性があるかどうか、じゃなくて、作品にしたいと思えば進むことだけどね。
facebookで色々語っている私だけど、何度か書いてるけど、本当に大事なことやおもしろいことは書いてないんです。
私の過剰さは、バケツリレーのように色んな人が受けとめてくれているけど(笑)、本当にぶつけられるのは、昇華できるのは小説だけかも、とは前から思っています。
繰り返すけど、衝動で書いています(笑)
人生の後半に足を突っ込んで、今だからこそ書けること、いろいろある。
とりあえずは、ダリアの時に口説いてくれた編集者さんがまた会いに来てくれるから(その関係は、ヘアヌードの脱がせ屋に似てます。作品のためには冷徹でもある(笑))、語ることから始めようと思う。
生きてこそ・・・
ご先祖様に感謝☆(←とって付けました)
よきお盆をお過ごしください。